樽谷 暢祐さんご夫妻
移住者の写真
樽谷さんは奥様とのお二人暮らし。当セミナーには2012年より参加されており、ご自宅の菜園で作物やハーブを育て、パンやお菓子、お醤油作りにもチャレンジされています。そして奥様はご自宅でお料理教室を開かれています。地域活動への参加やご近所の方たちとの交流、お子様やお孫さん達が来れば美味しいお店を訪ねたりと、樽谷さん流の鴨川暮らしについてお話を伺いました。
移住のきっかけは?

私の出身は鳥取市ですが、仕事の関係で鳥取、岡山、広島、高松、米子そして東京へと各地を転々としました。2008年頃はちょうど移住ブームのはやりだったと思います。退職前から暖かく地震が少なく、温泉も近くにあり、野菜も作れる場所を探すため、「田舎暮らしの本」など夫婦で読み漁っていました。候補地は八ヶ岳、伊豆、山梨などがありました。持ち家は広島にあったのですが、結局2010年に、結婚した子供たちの住む千葉や横浜に比較的近い温暖な鴨川に決めました。

移住をするために準備したことや決め手は?

広島以外に移住する気持ちは持っていたのですが、早期退職したため数か月で移住先と住まいを決めることになりました。子供たちが孫を連れて遊びに来ても泊まれるような中古物件を探したのですが、そう簡単には見つかりません。中古物件も購入すれば高額なもの、そこで鴨川の太海に賃貸物件を見つけ、腰を落ち着けて探すことに決めました。移住前に南房総市和田にあった移住者支援のNPO法人「海辺の八兵衛」を見つけ、そこで数多くの物件と情報を仕入れることができました。そして移住者仲間や地元の人との交流を深めることもできたことがとてもよかったと思います。結局、数件の不動産会社にも希望の物件を依頼していたところ、比較的希望に合う物件が運良く見つかりました。決まるまでには6か月ほどかかり、数十件の物件を見たと思います。そして多くの物件を見たことで、徐々に自分たちの希望するものがはっきりしてきたと思います。

移住前と移住後の生活で変わったことは?

移住前は仕事が中心でしたので、移住後は何をするのかは特に決めていませんでした。横浜には10年住んでいたので、東京までの1時間半の通勤から逃れられたことが一番良かったと思います。しかし乍ら車社会へ戻ったため、歩く機会が減ってしまい運動不足がちになってしまいました。通勤では何と良く歩いたことか、今になってつくづく健康のためには遠距離通勤もとても良かったと思います。鴨川に来て、健康には特に注意するようになりました。

移住するにあたって苦労した点はありますか?

夫婦とも転勤で各地に住んでいたので、引越しの煩わしさや、転勤先での人付き合いも特に苦にはなりませんでした。新しい土地での生活を二人とも楽しみにしていましたので、苦労を感じたことは特にありませんでした。

移住を成功させるための秘訣は?

移住するにあたって、まずその土地の気候や風土、人柄などを調べ、自分たちがそこで何をやりたいのか、準備しておくことが大切だと思います。賃貸物件だといつでも簡単に引越しできますが、住宅購入となるとそう簡単にはいきません。住宅を決めるにはできるだけ多くの物件を見ることが大切です。見るだけでも自分たちの希望に沿うものかどうかもわかりますし、土地勘や気候や人柄など多くの目に見えないものを感じることもできると思います。 私たちは物件探しだけではなく、観光地や美味しい店探しや温泉地巡りなど楽しみながら行動しました。最初の希望どおりには移住先や物件は見つかりません。どこかで妥協をしなければいつまでたっても決めることはできないので、夫婦でよく話し合って決めることが良いと思います。 私は最初の1~2年は、ホームヘルパー2級の資格を取得したり、公民館のイベントに夫婦で参加したり、小さな畑があったので見様見真似で野菜を作ったりしました。2年目からは、鴨川市の帰農者セミナーに参加し、野菜作りを学び始めました。また、卓球サークルにも入り週2回練習に励み、館山の社会人団体リーグに毎年参加しています。他には月2回程度、公民館で囲碁サークルに入り腕を磨いています。妻はこちらに来てから車の免許を取得しました。また毎月、自宅で薬膳教室を月5回程度開いています。それぞれが地域の人たちや、移住者の方々と交流を深めながら生活を楽しんでいます。

鴨川移住の先輩からのアドバイス!

移住して来られる方々は、夫婦で来られる方、一人で来られる方、退職後に来られる方、若くして来られる方などそれぞれ異なります。特に夫婦で同じ趣味を持って、一緒に生活することは難しいと思います。それぞれがぶつかり合わない程度に好きなことをやることができれば一番でしょう。そして急がないで時間をかけてゆっくりと地元に馴染んでいくことが良いと思います。

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